본문 本稿では1944年に日本による植民地時代朝鮮で発行された日本語雑誌『海国少年』を中心に、大日本海洋少年団朝鮮本部の結成過程と朝鮮人児童を総力戦に備えた予備軍として組織化していく同時代的意味について考察することを目的とした。特に1940年代に植民地朝鮮で発行された日本語雑誌と同誌を発行した朝鮮公民教育会、そして朝鮮総督府と朝鮮軍(特に朝鮮に駐屯していた日本海軍)をめぐる相互交渉的な関係性について究明することを試みた。 その結果、『海国少年』は朝鮮総督府当局の宣撫工作の一つであり、当時の戦時状況が悪化すればするほど、海軍に優秀な人材を送るために編集された雑誌であった。特に、徴兵制度と大日本帝国のために軍隊に入隊することは「義務」ではなく「権利」であると強調しながら、植民地朝鮮人の貧困と差別的な階層性を隠蔽させ、「天皇の嫡子」としての帝国日本の小国民意識を移植させていった。 現在、『海国少年』を読むということは平凡な朝鮮人少年である小国民を総力戦に備えて予備兵として組織化していくプロセスを究明することであり、それは単に日本内地と朝鮮外地、植民地と被植民地、朝鮮人と日本人のように二分法的に捉えるのではなく、当時の朝鮮総督府と日本軍、学校、そして出版社を含む新聞雑誌メディアがそれぞれどのような思惑の下で一体化していったのかを解明することに他ならないのである。 이전글 다음글 목록